ハマの海づくり 21

野島水路とヨシ原

 われわれの主な活動拠点である野島は四角形の島で、四方がそれぞれ環境条件が異なる海に面している。
  東面は本市唯一の自然海浜である野島海岸で、潜水定点調査やアマモの移植などの様々な活動が行われている。今回は南面の野島水路を紹介したい。
  バーベキューで賑わう野島公園のクロマツ林越しに見える水面がそれで幅100mあまりを隔てた工場が建ち並ぶ対岸は横須賀市。ここは、最近20年間で最も劇的な環境回復を果たした海辺である。

私が初めてここを訪れた二〇数年前は、水路幅いっぱいにヘドロ状の軟泥が埋め尽くしていた。夏場には悪臭が漂い、ゴミの投棄もひどく、水辺に近づく者は皆無であった。
  私はそこで、ゴミの上を飛び移りながら何度か魚採りをしたが、ゴミを踏み外して底なし沼のような泥に腿まではまってしまい、本気で身の危険を感じた苦い思い出がある。
  一九六六年、横須賀側の工場から垂れ流された排水が野島海岸のノリ漁場に及ぶのを防ぐため、漁業者が水路の出口を土砂で閉鎖した。以来、軟泥が堆積し続けたのである。

水路の環境改善を図るため、一九八〇年代末から、市による大規模な浚渫が数次にわたって行われた。一九九四年に水路が完全開削されると、塩分が上昇し、底質の泥分も流失して、砂質の干潟に変わってきた。そこにハゼやアサリが住み着き、釣りや潮干狩りの賑わいが戻った。しかし、低塩分の閉鎖環境の元で長い年月をかけて発達してきた岸辺のヨシ原が、急速に衰退してしまったのである。

短期間で環境が劇変すると、たとえそれが良い方向であっても、変化に適応できずに消滅する生物もある。それが自然の摂理だ。しかしそれが、水鳥やカニ類が住み着き、水質も浄化するヨシ原であった事から、多くの人々が心を痛めた。
  実は当時、「金沢水の日」のネットワークは、二〇一〇年を目標年次とする市の総合計画策定に際し、ヨシ原の再生を軸とする「野島・平潟湾流域水と緑のマスタープラン」を提案していたのだ。
  海と川・陸を繋ぐ野島水路のヨシ原の衰退を見過ごすわけにはいかないと、市民は立ち上がったのである。

海をつくる会 工藤孝浩

野島水路と横須賀市側に残存するヨシ原。(筆者撮影)