ハマの海づくり 22

ヨシ原の再生

 

  野島水路が開かれたことにより海水交換が促され、様々な生物が増えた。しかし、塩分が上がって泥分がなくなったために、泥干潟とともに発達していたヨシ原は急速に衰退していた。
  ヨシ原は、浮世絵「金沢八景」にも描かれた水辺の原風景である。市民団体の流域ネットワーク「金沢水の日」は、環境復元への具体的な行動として、ヨシ原の再生に取り組むことになった。

しかし、ヨシ原は金沢漁港の区域内にあり、市民が勝手に手をかけることはできなかった。特に漁協との調整が重要であったことから、漁業者からの信頼が厚い神奈川県水産総合研究所(水総研)がヨシ原造成の研究を立ち上げ、市民団体がそれに協力する形をとって実施に移された。

第一の課題は、移植用のヨシの調達であった。遺伝的なかく乱を避けるために、東京湾産のものを用いる必要があった。また、ヨシは本来淡水性で塩分に弱いので、できるたけ塩性が強い環境に耐えているものが欲しかった。
  この全国的にも珍しい汽水域(淡水と海水が混じる場所)のヨシ移植にどうしても象徴的に使いたい産地があった。東京湾唯一のラムサール条約登録湿地である谷津干潟である。そこは環境省・千葉県・習志野市の共管のもとで厳しく保護されており、常駐のレンジャーですら一度もヨシ原に分け入った事がないという所だった。

一九九八年二月、水総研は研究を目的としてヨシの採取を許され、東京都大田区の東京港野鳥公園産のヨシとともに大勢の市民が野島水路に手植えした。しかし、干潟に何も手を加えないその場所にはヨシが根付かなかった。
  そこで同年一〇月、生分解性のヤシガラロールを用いて地盤の安定とかさ上げを図った実験区をつくり、二度目の移植に挑戦した。実験区づくりには、ボランティアとして参加した造園や土木などの専門技術者が大いに力を発揮され、干潮の数時間が勝負の難しい作業を整然とやりとげた。

移植成後の経過はNPO法人よこはま水辺環境研究会が中心となって調査し、汽水域における貴重な事例として水総研と共同で学会発表もされた。そして今も、小規模ながら良好なヨシ原が維持されて、小動物たちのオアシスになっている。

海をつくる会 工藤孝浩