ハマの海づくり 26

野島運河

 これまでに、野島海岸、野島水路、平潟湾と、四角い野島が面する三方の海の歴史と海づくりへの取り組み・提案を紹介した。最後に取り上げるのが、北西面の野島運河である。 
 
 太平洋戦争前までは、北方から伸びた砂洲がつながった半島状の野島が、平潟湾と金沢湾とを分けていた。

戦争中、野島の軍事要塞化が進められる中で、住民が強制的に立ち退かされ、野島水路には横須賀側の海軍施設とを結ぶ道路が造成された。平潟湾は天然の良港として活用されていたが、外海への唯一の航路が閉ざされたため、代用として野島運河が掘られたのである。

以来、野島運河は平潟湾に係留されている漁船・遊漁船やヨット・ボートが頻繁に行き交う賑やかな海辺になった。運河の両岸は斜路と石積の直立護岸とが組み合わされた複雑な形状をしており、随所に木組みの桟橋や貝殻が砕けた砂だまりがあって、カニや小魚が集まる素晴らしいビオトープだった。

私が学生の頃までは、冬場になると小船が揚げられた斜路に海苔干しのすだれが建ち並び、横浜とは思えないのどかな漁村風景があった。それを激変させたのが、シーサイドラインだった。シーサイドラインと新たな道路を通すため、運河の三分の一が埋め立てられてつまらないコンクリート直立護岸に変えられてしまったのだ。

生き物の観察や採集には全く不向きになった運河だが、数年前から「橋飛び込み」の子供で賑わうようになった。夏の暑い日に、小学校高学年から中学生くらいの男の子たちが、海パン一丁で野島運河の橋に集まってくる。ある子は恐る恐る欄干を越え、ある子は欄干の上から、宙返りを加えたりして飛び込み、勇気と技を競うのである。

それは危険な行為に見えるが、船を走らせ、周辺で働く漁師たちは注意することもなく、子供たちの安全に目配せしている。子供側も船の航行に目を光らせ、干潮時には飛び込まないなどのルールを決めているようである。

子供の海離れが進む現在にあって、古式ゆかしい遊びを編み出した子供たちを地域ぐるみで暖かく見守っているように思える。

海をつくる会 工藤孝浩

ある夏の日、野島橋は飛び込みの子供たちの熱狂に包まれた。(筆者撮影)