ニカラグアより

2004524 VOL.2

★はじめに

ニカラグアに来て約2ヶ月が経とうとしています。4週間の語学訓練を終え、サンマルコスという町から仕事先、レオンに移動しました。レオンは首都マナグアから車で1時間半ほど北にあるニカラグア第二の都市、多くの大学が集まる学生の町、20を越える教会のある町、中でも街の中心にあるカテドラルは中米一の規模を誇ります。町はとてもにぎやかで、人も多く行きかい、静かな田舎街だったサンマルコスでは町全体が家族のようでしたが、ここではそんな雰囲気はありません。しかし東洋人に見慣れていないのか、街を歩けば「アディオス!」「中国人?」「日本人?」と声をかけられるのはどこの街でも同じで、まるでからかわれているようなのですが、それももう慣れっこになりました。

★レオン

レオンはニカラグア北部のニカラグア第2の都市です。ニカラグアの地方都市では他にグラナダが有名ですが、保守的なグラナダに対し、レオンは革新的勢力の町として知られています。80年代まで続いた内戦時代にゲリラとして名を馳せたサンディニスタ民族解放戦線の本拠地です。中米の最貧国と言われるニカラグアは「貧しい国」ではなく「貧しくなってしまった国」です。かつて工業も発達していたこの国は内戦とハリケーンなどの災害の影響で、社会的インフラ、工業なども壊滅、米国などに人材も流出してしまいました。この国の内戦はアメリカ合衆国の影響が濃く、政治的な争いにおいて米国が加担し、90年の総選挙で落ち着くまでに約10年続いた内戦は冷戦の影響も濃く、冷戦の終結とともにニカラグアの政治状況も落ち着いてきたとも言えます。今もなお、国境付近などには地雷が埋まっており、除去作業がおわっていないといいます。高い建物もなく、街中ではコンクリート製の建物が並ぶものの、少し外れると、壁のないような家や壁がビニールのような家にも人々は暮らしています。

レオンの人口は約18万、街のほとんどが舗装されており、街の普通の店や民家に混じって大学があります。夕方になると街のバスケットコートに学生たちが集まってバスケットボールをしていたり、ビリアード場やインターネットカフェや街のカフェが学生の溜まり場のようになっている、とてもにぎやかな街です。いつでもどこでも大音量のラテンチックな音楽が鳴り響いてるのはここも同じです。

★日常

朝、5時半に目覚ましをかけ、シャワーをあびて、6時半に家を出ると、すでに太陽がぎらぎらとしています。さすがにこの国の中でも特に気温が高いレオンだけあり、ひんやりとした朝を迎えることはありません。毎朝バスで約15分の通勤、バス停ってものがあるのかないのか、バスが通る道に立っていると停まり、運転手の他に料金徴収係のおにいさんがいて、最初のころはおにいさんに「学校の前にこのバスは行くか?」と聞いたけど、だんだんなんとなく大丈夫なことがわかり、乗れるようになりました。おんぼろで乗り心地は最悪、バスの頭(日本のバスなら行き先が書いてあるところ)に「GRACIAS A DIOS(神に感謝)と書いてあったり、座席ときたら日本の駅のベンチみたい、当然つり革なんてなし、ブザーで降りるのお知らせするなどありえない(降りたいなあというしぐさをするとなぜか停まる)運転手の座席の下に運転手が食べたらしい食事したあとの皿がころがっていたりします。

私の赴任した小学校アサリアスエチェパレは日本の無償資金協力により校舎の一部が建設された小学校で、生徒数975名です。少子化の日本では想像できないでしょうが、ともかくこの国は子供が多く、街のあちこちに小学校があるのに、この学校だけで、この人数です。どこの学校もそうですが、2部制になっていて、午前は7時から、午後は13時からの授業で、生徒も先生も午前と午後では違います。私の仕事は7クラスある56年生の環境教育の授業に先生とともにアドバイザーとして参加することです。

朝学校に行くと、白いブラウスに紺のスカートかズボンの制服を着た子供たちが「ナツコ!」と挨拶してくれます。発音しづらそうなので、ナツコはベラーノ(夏)という意味だと教えたら、たまに「ベラーノ!」という子どももいます。子供たちは日本人がものめずらしいので、「いくつなの?」「兄弟はいるの?」「子供はいるの?」「恋人はいるの?」「日本語で私の名前はなんていうの?」と声をかけてくれ、まだまだ仕事では慣れないことばかりですが、子供たちに救われるような気がします。

午前の部が終わり、一度家に帰り、食事をしたあと、午後の部の授業にも参加、今は雨季が始まったばかり、夕方になると、夕立がやってくることが多く、どんよりしてきます。午後は6時半までだなと思っていると、突然チャイムがなり、もう終わりだと言う、なぜかと聞くと、雨が降ってきたら子供を帰すのだそうです。

毎回バスに乗るのも馬鹿にならない出費だからと帰りは30分歩き帰ったりします。バスは片道約20円、缶ビール一本だいたい100円、一回飲みに行っても500円くらいで済んだりする、しかし、私たち協力隊員の生活費の支給、月額約35千円のなかでは大変な出費なのです。

★旅

週末を利用して、隊員仲間と海に行きました。片道5時間のバス旅、コスタリカ国境に近い、サンファンデルスルというサーフィンのスポットとして有名な町です。この町は穴場のサーフィンスポットらしく、米国系の観光客も多く、ニカラグアのほかの町とはまた違う雰囲気をかもしだしています。町でばったり日本人観光客にであったのは驚き、彼らはアメリカに留学している学生で、中米をサーフィンしてまわっているのだという。サーフィンスポットだと言っても海辺のぼろぼろの宿と数えるほどのサーファーしかいない海、海までの送迎とサーフィンの教師を頼んだのにもかかわらず、車から降ろして、あとで迎えに来るから勝手に行って来い、いい波だよと言う、教えてくれるんじゃないの?と言ったけれど帰ってしまう、ニカラグア人は気分次第。一日を海のそばで過ごし、夕方迎えを待っていると、また気分次第のニカラグア人は1時間近く遅れて陽気にやってきました。送迎の車のなかで大音量の音楽をかけ、踊りながら運転している、舗装されていない、でこぼこの道を。

夜日本人観光客といっしょに旅の話をしていました。ニカラグアについて知りたがる彼らに説明をしていると改めてニカラグアについて考えさせられました。ほんとうに何もない国です。観光資源がまったく発達していない、観光客に紹介するべきものがみつからないのです。道路には車といっしょに馬車や牛車が普通に走り、街と街の間の長く続く一本道の周りに草原が広がり、牛や馬が草を食んでいます。 

帰りの車の中で「なんだかアフリカみたいな気分にならない?」と問うとアフリカに行ったことがあるという友人が「いや、アフリカはもう少し奥行きがあるよ」と答えました。ふと私はニカラグアに住んでいるけれど、住んでいるのではなく長い長い旅をしているだけなんだという気分になりました。今日出会った日本人観光客と何が違うのか、旅の長さが違うんだと。私は日本人で、ニカラグア人にはなれないけれど、もっともっとこの国を知り、この国の人々と共に過ごし、長い旅の終わりに、この国を故郷のように思えるように、そして何かを自分とこの国に残せたらと思っています。

授業中に ニカラグアの海

                           

レオンの夕方  バスの中から


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