2001年12月15日(土)12月の野島定点観察報告


   「つめた…な 1 日」

                        

参加者:坂本事務局長、木村(尚)さん、工藤さん、諏訪部さん、河内さん(朝のみ)、竹山さん(東水大生)、反田

 昨晩から強風が吹き荒れ、当日の朝も木枯しが吹いている状態で、冬本番という感じの朝でした。家からドライスーツのインナーを着ようとしてバタバタしていた私は、野島に一番近いにもかかわらず10分ほど遅刻してしまいました(9時集合)。すでに皆さんは黙々と用意を始めているところでちょっと気まずい思いをしてしまいました。研修センター脇の山の木々は落葉樹の葉が落ちて、11月の紅葉の時とは一変。葉がなく色もない分、ちょっと物悲しい感じの朝でした。

 坂本さんは何と、この日が初のドライスーツ(青が基調のネオプレーン・タイプ)です。昔からのダイバーはドライを馬鹿にして絶対着なかったのは私もよく知っておりますが、坂本さんは典型的な昔からのダイバーだったんですねぇ(ダイブ歴20年以上とか)。「昔からのダイバーはドライなんか着るのは邪道だと思っているんだ」と坂本さんが言うと、すかさず木村さんが「私は今のダイバーだからドライを着ているんだよ」と応酬、すると坂本さんが「木村さんはダイバーでなく潜水夫でしょ。潜水夫は別だよ、別!」と返しました。これを聞いた私は「そーか、ここに来ている人はダイバーではなく、みんな潜水夫だったんだ」と妙に納得してしまいました。そして、「もしかしてレジャー・ダイバーは私だけ? 何と凄い会に入ってしまったんだ!」という思いが頭をもたげてきました。

 この日は東水大4年生の竹山佳奈さんが陸番をしてくださるとのことで朝から参加していました。忙しい河内さんがわざわざアマモの観察野帳を届けてくれました。河内さんと竹山さんは女性同士、話がはずんでいます。何と2人は大学のサークルの先輩・後輩に当たるとか。傍で何気なく話を聞いていると、竹山さんは研究材料としてツメタガイが欲しいとのこと。「ここは協力しなければ男がすたる」とばかりに私は勝手に話しに割り込んで「水中で見つけたら何個か獲ってきますよ」などと安請け合い。でも内心は全く自身がありません。これまでの4回の野島ダイブでツメタガイを見掛けた記憶があるにはあるのですが、今回も見られるかどうか?不安です。言ってしまってから「どうしよう」と30秒ほど悩んでしまいました。「でも砂を掘りゃ何とかなるさ」という気もしてきて、気を取り直してセッティングを終了しました。

 いつものように棒岩側からエントリー。最干潮が近いため、潮が引いて浅くなっている砂地を延々と歩き、水がヘソ辺りにきたところでフィンを履いて、いざ潜行開始。顔を水につけると「冷たっ」と思わず口にでてしまいました。フードを被っても唯一肌が丸出しの頬の辺りが「冷たい」という感覚と「痛い」という感覚が入り混じった状態です。後で判ったことですが、何とこの日は水温が10℃台にまで落ちていたのです。11月はまだ14℃もあったのに。私は千葉の船橋で9℃という水温を1回だけ経験しておりますが、あとは伊豆・大瀬崎で96年春先に11℃弱を経験しただけで、ほかはせいぜい12℃台、13℃台ばかり(ちなみにその96年春の低水温で大瀬崎のホンソメワケベラが全滅、温帯魚も死体がゴロゴロという状況でした)。13℃前後なら全然平気という自信がありました。しかし、この日は水温がこんなに落ちているなんて想像もせず、不意打ちを食らった感じです。でも、でも、水中は透明度がこれまでのなかで一番良く、かなり先まで見渡せます。よく分からなかった地形を覚えるのにも最適です(地形というよりも個々の位置関係とか、砂の状態というか…)。
 アマモ場に行くと北西風による沖出しの流れがあり、流れでアマモがなびいています。アマモを見た第一印象は前回の11月が「茂ったなぁ」という感じだったのですが、今回は「良く根付いているなぁ」という感じでした。初めて野島を潜った夏には弱々しく見えたのですが、今回はがんばっている気がして、思わず「がんばれよ」と応援してしまいました。

 ふと横を見ると、何と、何と、前回撮影できなかったニクハゼが底から10cm程度のところを2尾もホバリングしているではありませんか! 今回は追わずに、にじり寄って何とか撮影に成功。でも排気音を非常に嫌がります。結局、カメラの射程距離外に逃げてしまいました。この2尾以外にも、ところどころに散在しています。次の個体は逃げません。それならば、と10cmほど前に出たら、スッと砂の穴に入ってしまいました。彼(彼女?)には隠れ家があったのです。それで逃げ出さなかったんだ、と納得。その次の個体は隠れ家に逃げ込まないよう息を止めてゆっくり寄って撮影。でも、2カット撮ったところでやっぱり穴に雲隠れ。手強いなぁ。それと、ラッキーなことに棒岩には前回見逃したアイナメの卵塊が未だに残っており、新しい卵も産み付けられていました。もう諦めていただけに感激です。

 そのうち急にツメタガイのことを思い出し、ツメタガイ探索モードに切り替え、探索開始です。すると砂泥底に何かが這ったような跡がたくさんあることに気付き、直感的にツメタガイの跡ではないか、と思いました。早速、この辺だろうと砂に手を突っ込むと、確かな手応えがありツメタガイが出てきました。やったぁ、1個ゲット。BCのポケットに入れ、次の跡を捜し、手を突っ込むと、またもゲット! 「スカ」もあるのですが、だんだんコツを覚えてきました。貝が砂中を這った跡には起点と終点があり、起点には当然、貝はなく、終点の見極めが重要です。終点は、何と言うかモアモアという感じで乱れています。このモアモア状態を掘れば7、8割の確率でゲットできました。貝の大きさはおおまかに2通りあり、小さい方が500円玉ほどの直径、大きい方はゴルフボール程度で、年齢的にそれぞれ1歳と2歳ではないか、という気がしています。

 何個か集めた時、何とアサリを食べているツメタガイに出会いました。開けたアサリの穴から口(吻?)を突っ込んでいます。エイリアンが人間の頭に穴を開けて脳みそを食べている、そんな状態で「気味悪っ」という感じです。そのままポケットに入れてしまいました。今となれば写真を撮っておけばよかったと後悔する始末です。そのうち、しばらくすると右のポケットが一杯になり、今度は左に入れて続行。例のモアモアに手を突っ込んだら、バカガイ(青柳)が驚いてピョンと飛び出してきました。足を使って跳ねています。ちょうど、ツメタガイがバカガイを捕捉しようとしていた時に手を突っ込んだようです。結局、僅かな時間で20個以上も獲れました。ツメタガイさん御免なさい、研究に役立ってくださいね。

 ツメタガイがこれだけ棲息できるのは、やはり餌となるアサリ、バカガイなどの二枚貝が豊富にあるためでしょう。野島の海の生産力を見た気がします。でも逆に、野島周辺というか東京湾の内湾全体が半閉鎖水域のため、富栄養化が問題になっていると思います。漁業などのいわゆる『とりあげ』が栄養を間引く意味で重要となりそうです。坂本さんは岸に戻る際にバカガイやアサリを『とりあげ』ておりました。次回は私も夕食のオカズにしようと思います。砂にちょっと手を入れると隙間がないくらい貝がいます。野島は本当に豊かな海なんですね。

 エキジット後、そのまま重器材を桟橋に置いて、鋼矢板側に移動し、通称「矢板」側のアマモ生育状況を調査。私はこれまで通り巻尺(X軸)の始点押さえを担当。しかし、岸からの距離(Y軸)を測るために鋼矢板にペンキでつけた印が消えてしまい距離が正確に測れませんでした。みなさまスミマセン。次回の調査前には別な方法で印を付け直す必要がありそうです。荷造り用のロープを使うことを木村さんが提案してくれました。ここでもアマモは元気に根付いているという感じでした。ただ、コアマモはアマモほど元気という感じには見えませんでした。矢板側のアマモを調査中にFMブルー湘南の生中継があり、いつもは伊東会長が中継するのですが、今回は会長の出張が長引いて欠席されたので、代わりに工藤さんが対応しました。

 昼食は例によって、1人前が超大盛りの中華屋さんの出前。諏訪部さんは前回、奥様の五目ソバを食べた関係で食べ残してしまった中華カツカレーにリベンジを狙って再挑戦。そしていとも簡単に雪辱に成功。私は今回、その五目ソバです(前回、美味しそうに見えたから)。冷たい海に長い間浸かっていたため手がかじかんでラップをはずすのに手惑い、箸も幼児が使うようなぎこちない手つきとなり、出遅れてしまいました。潜水夫4人はさっさと食べています。坂本さんは今回も裸足にサンダル履きです。やっぱりダイバー(お分かりかと思いますが私のことです)と潜水夫(他の4人のことです)とのギャップは大きいようです。五目ソバという名前ながら、具は十目くらいあり、麺も1.5人前くらいあり味も良く満腹。昼食後、午後1時半ごろに解散となりました。竹山さんはこれからツメタガイを持って大学に戻るとのことでした。諏訪部さんと私が獲ったツメタガイで研究が進むようお祈りします。次回、1月の定点観察は確実に水温が一桁でしょう。防寒対策を万全にして臨みたいと思います。

 潜行開始:10時00分、浮上:10時45分、潜水時間45分間、水深:最大2.1m、平均1.5m、水温:最低10.2℃、平均10.5℃、天候:快晴、風:北西の風強し

 今回観察した魚種:アイナメ卵塊、トビヌメリ(?)、ヒメハゼ、スジハゼ、アシシロハゼ、ニクハゼ、クサフグ

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